約1,200年前、真言宗の開祖・弘法大師空海によって
『四国八十八ヶ所霊場』は開かれました。
以来、四国を修行の場とし、全長1,100~1,400kmにもなる
道のりを巡って八十八箇寺を参拝することを
「四国巡礼」「お遍路」と呼び、
現在でも、毎年沢山の「お遍路さん」が
四国を訪れます。
久万高原町は四国八十八ヶ所霊場の
ちょうど真ん中の場所になります。
久万高原町には「第44番札所 大寶寺」「第45番札所 岩屋寺」があり、
四国八十八ヶ所霊場のちょうど真ん中の場所です。
老樹が林立し、幽玄な雰囲気に包まれる境内や、巨岩の中腹に埋め込まれるようにたたずむ山岳霊場。道中は沢山の美しい緑に囲まれています。
久万高原の美しい自然に包まれて、心身ともに浄化する癒しの旅をしませんか。
四国八十八ヶ所巡礼はハイキングやスタンプラリーではありません。
何冊も納経帳(集印帳)を持って行ったりするような行為は止めましょう。
お遍路は、十善戒を守り、お大師さんと一緒に四国の山野を巡りながら自身の心を浄めてゆく旅です。
「何のために巡礼するのか?」と目的を持ち、最低限のマナーを守って巡礼しましょう。
四国霊場八十八ヶ所のちょうど半分に当たり、
「中札所」といわれており、
境内は老樹が林立し、幽玄な雰囲気に包まれています。
後白河天皇の病を癒したことから病気平癒を願って訪れる参拝者が多いです。
寛保元年(1741)、農民3,000人が
税制の不満で一揆を起こしたとき、
当時の大寶寺住職・斉秀が仲裁した。
また、天明7年(1787)土佐藩の
「紙漉一揆」の舞台ともなった。
後白河天皇の妹宮の遺体を祀る
お堂と五輪塔。
脳、頭の病気に霊験あらたかと。
芭蕉33回忌の法要を営んだ際の建立。
奇峰が天を突き、巨岩の中腹に埋め込まれるように
堂宇がたたずむ山岳霊場。
国の重要文化財に指定されている大師堂には、
バラの装飾など西洋建築のディテールを取り入れています。
本堂に向かう石段の下。
納経所下の曲がり角、虚空蔵堂裏。
奥の院・大師堂奥の山道を辿る。
お遍路さんをさわやかに歌ったうた。
現住職が作詞・作曲。
三宝鳥、慈悲心鳥、慈悲声鳥、
鼓鳥、鈴鳥、笛鳥、鉦鼓鳥。
イヨクジャク、イワヤシダ、イワヤスゲ。
遍路道(へんろみち)とは、四国霊場において霊場間を繋ぎ、お遍路さんが歩く道を言います。
一般的には車道として整備された道も含みますが、車やオートバイ・自転車などを使ったお遍路さんが狭義の遍路道を迂回するために通行する道路で、歩き遍路が使わない道は遍路道とは呼びません。
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